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【追悼】ランウェイの帝王カール・ラガーフェルド:レジェンド、そしてファッションアイコンとしての時代 Vol.3
究極のルネサンスを生きたファッション界の帝王、ラガーフェルドの人生の軌跡を振り返る。

limited 2019.03.21

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現地時間2019年2月19日にパリで死去した究極のルネサンスを生きたファッション界の帝王、カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)の人生の軌跡を振り返る。


ココからカールへ

ラガーフェルドがシャネルのデザイナーに指名されたのは1983年のことだった。ココ・シャネル(Coco Chanel)が亡くなった10年後、ラガーフェルドはついに彼の才能と野望を実現するチャンスを与えられたのだ。
「人は大変名誉なことだと思っている。でも私が始めた時には大変な名誉などではなかった。多くの人が私にアドバイスした。“関わらない方が良い。死んだブランドだ。”と。でも私は挑戦好きだから、シャネルに移るという考えを気に入っていた。シャネルを引き継いだ時、まるで眠れる美女のようだった…美女ですらなかった、いびきをかいていた。」

ラガーフェルドがファッションアイコンとなったのはシャネルがきっかけだった。死にかけていたブランドを復活させただけでなく、国際的なファッションシーンを活性化させ、クラウディア・シファー(Claudia Schiffer)やコカインを吸引する様子が撮られた2005年までシャネルのフレグランスの広告塔を務めたケイト・モス(Kate Moss)といったモデルたちのキャリアを確立したことでも知られた。

ラガーフェルドの最後のミューズは、マリー・アントワネットの恰好でトップレスでポージングしながら2013年のクルーズ・キャンぺーンの顔を務めた、モデルのカーラ・デルヴィーニュ(Cara Delevingne)だった。彼女は2014年のパリ・ファッションウィークでのシャネルの色鮮やかな春コレクションで、ラガーフェルドのためにランウェイを闊歩した。

「彼女(カーラ・デルヴィーニュ)には個性がある。」とラガーフェルドは話す。「彼女はファッション界のチャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)だ。彼女はある意味天才で、無声映画のキャラクターのようだ。彼女はオーバー気味に動くから、トーキーよりも無声映画の方が向いているように思う。女性たちはかつてのケイト・モスへの憧れのように彼女に憧れている。皆彼女のように自由になりたいのだ。」

ショーの後、カーラ・デルヴィーニュはインスタグラムにラガーフェルドの頬にキスをする写真を投稿し“愛しているわ@karllagerfeld あなたは唯一無二の存在よ!!!”というキャプションを添えた。
しかし恐ろしいほど正直であることを好むラガーフェルドは後に「人が(カーラを)新しいケイト・モスだと言うのが大嫌いだ。ケイトはユニークだ。誰かの二番煎じになりたい人はいない。ケイトは何もかもを超越している。」そしてさらに「ケイトは私たちの時代を生きる自由な女性だ…彼女はヴィシー水に頼って生きていたわけではない。」と話した。

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イメージの再構築

多くのファッショニスタが耽溺することで有名になったり(悪名高くなったり)する中、ラガーフェルド自身はプライベートシェフによって準備された贅沢な食事を好む傾向にあった。そして増え過ぎた体重により疲れが増し、毎日19本のダイエットコーラの缶を消費しながら、日々の摂取カロリーを900キロカロリーに厳しく制限するという短期間でのダイエットを行い、約40kgの減量を行った。
ボディイメージを変え、尊敬する他のデザイナーたちの服を着ることができるようになる必要がある、と彼が発言したのは劇的な変化だった。

「服にもう一度こだわれるよう減量した。」とラガーフェルドは説明する。「スリムな男性向けにデザインされた服はどれも着ることができなかった。特にディオール・オム(Dior Homme)のコレクションを担当したエディ・スリマン(Hedi Slimane)の服はね。」

「自分の体に満足できずに、“私はファッションの世界で働いている、ファッションとは変化だ”と自分に言った。自分のイメージが気に入らないなら、自分を変えるしかない…女性も男性と同様だ。ファッションは減量するための健康的なモチベーションだ。病気になって気分を害するまでダイエットしないというのは良くない。別にナルシスト的な衝動があったわけでもない。変化の時だった、ただそれだけだ。」

彼のプロフェッショナリズムの信用を守るため、ラガーフェルドはこう話している。
「自分のデザインだけでなく、自分の外見に関しても変化を生み出すことができると証明するのは重要なことだと信じていた。ブーツ、シャツ、そしてブラックのパンツという武装は、ある種のカモフラージュだ。とても上手くいったし、このアウトフィット、もしくはアウトフィットの下で快適に過ごした。サングラスも扇子も、これらは全て自分自身と世界の間にある壁のようなものだ。」

自嘲的な感性

ラガーフェルドは常にファッションへと通じるアートを愛し、スケッチをしたり、生地を眺め、布をカットする新たな手法や自身のデザインの新たなルックを生み出すことを考えながら日々を過ごしていた。また、彼は全く感傷的にならずに自身がかつて過ごした大豪邸やハンブルグにあった家族の昔の豪邸のほとんどを売却している。

「私は変化を愛している。何にも執着していない。」というのが、人生に関しての彼のマントラだった。
「私は必要なだけ自分自身を再発明し再構築することを信頼している。時々自分のことを完全に即興で作ったものだと思っていて、人生の中にいくつかの自分がいる。誰かの心の中でリアルな存在になりたくはない。」

彼の人生における最後の十年間、ラガーフェルドは、カール人形をはじめとするその他の多くのモノ、そしてファッションの世界で神として尊敬される偽りの肖像に変わった自分のイメージを目にした。

「面白いことだ。真面目に捉えられるべきではない。私は自分のことをそこまで真剣に捉えない。今なんて私の恰好をしたバービー人形もあることを知っているかい?ケンじゃなくて私の恰好をしたバービーだよ。素晴らしい誉め言葉だね。」とラガーフェルドは笑った。

最後の最後まで、この究極のルネサンスを生きる男は新たなコレクションを生み出し、製作していた。ラガーフェルドは自分自身を仕事に捧げるという自分の技術を決して疑わなかった。たとえそれがシャネルの8つのコレクションであっても、シグネチャーである3つのカール・ラガーフェルドラインでも、プレタポルテでも、フェンディのコレクションでも、写真への情熱においても、インテリアデザインやその他のことにおいても。

「やり方について自分にはあまり問わない。ただやるのみだ。」ラガーフェルドは冷静に物思いにふけた。
「ある意味で私は機械だ。でも努力はあまりいらない。エゴという問題は私にはない。多くのデザイナー、特に若いデザイナーにはエゴがある。私は全くもって関心がない。」

INTERVIEW © WENN
PHOTOS © Albert Reye / WENN.com


END.
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