@okj_webmagazine face book twitter
close
open

OK!J 限定記事
OK!J 限定記事

前の記事
次の記事

【追悼】ランウェイの帝王カール・ラガーフェルド:レジェンド、そしてファッションアイコンとしての時代 Vol.1
究極のルネサンスを生きたファッション界の帝王、ラガーフェルドの人生の軌跡を振り返る。

limited 2019.03.12

OKJ.Karl Lagerfeld.1.1.jpg
現地時間2019年2月19日にパリで死去した究極のルネサンスを生きたファッション界の帝王、カール・ラガーフェルドの人生の軌跡を振り返る。


現地時間2019年2月19日にパリで死去したデザイン史上最高のアイコンの1人、カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)。
ファッション界の帝王だった彼の(報道によると)85歳での死によって世界中に衝撃が走り、その訃報は世界中で見出しを飾った。彼の訃報の後、ドイツのテレビ局は彼のために1時間のスペシャル番組を組み、フランスのテレビネットワークは同様に衣服デザインの伝説的なアイコンに向け数時間に及ぶ番組を捧げた。

重要なのは、ラガーフェルドという存在の欠如が、彼のカリスマ性を失った業界に大きな穴を残すという、大衆のイマジネーションに対するインパクトである。彼のデザインの大胆さと同様に、ラガーフェルドは、非常に独特なキャラクターを形成することに成功した。

映画監督、映画プロデューサーでもあり熟練したセルフプロモーターであるアルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)の影の横顔、もしくはアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)のツンツンとしたシルバーのウィッグなど、ラガーフェルドは自嘲的なパーソナルスタイルにおける奇抜さと密接に関係していた。
ベビーパウダーをふったヘアー、サングラス、ヒルディッチ&キー(Hilditch&Key)のハイカラーシャツ、ブラックのテーラードジャケットにブラックのスキニージーンズ、そしてフィンガーレスの手袋とブーツ…。これらは全てラガーフェルド自身の不遜なブランディングの一部だった。

30年以上に渡ってシャネル(CHANEL)を支配してきた風変わりなドイツ人は、大衆の趣味の急激な変動が起こった業界で、支配的勢力としての地位を確立した。彼はシャネルや、フェンディ(FENDI)、そして彼自身のラガーフェルドラインを含む17のコレクションを担当するほど疲れ知らずの超多忙デザイナーであり、同様にインスピレーションを得ていた。彼は "仕事中毒"という自身のイメージを否定するものの、ファッションの歴史の中で、彼のクリエイティビティの幅に匹敵するデザイナーはいない。

「私はその表現が嫌いだ。私がやりたいことができるのはラッキーだからだ。仕事という考え方が嫌いだ。仕事というのは、自分が生計を立てるために退屈なことをしているときだ。それが仕事であって、私が仕事熱心だとは言わないで欲しい。」とラガーフェルドは嘲笑した。
「仕事をすることを強いられている人は一人もいないし、自分の仕事が嫌いなのであれば、別の仕事をするべきだ。できないなら、他のことをすれば良い。でも取り掛かり始めてから“あー、耐えられない”なんで言ってはいけないよ。だって多くの人がそれに頼っているからね。」

OKJ.Karl Lagerfeld.1.2.jpg


「シャネルで私たちがしていることには、何千人もの人々が取り組んでいる。世界中の何百という店舗で販売されている。人は大きな機械やそこから生まれるお金が好きだが、努力ではない…。そして突然、デザイナーは芸術家になる。芸術家はあまりにも弱いし、あまりにも脆い。私たちはタフでならなければならない。自分たちの苦しみについて口にすることはできない。人は幸せになるためにドレスを買うのであって、タフさに関する苦労話を聞きたいわけではない。私は、努力をするのが好きだ。具象の現実以上に好きなものはない。私は非常に地に足のついた人間で、地球をより快適な場にするのが私の仕事だ。」

ラガーフェルドは、その非凡な才能で絶え間ない進化と再発明を行うプロセスにおいて、競争の激しい業界を支配するクリエイティビティとして記憶されるに値する。
パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)や、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)、イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman)、ウラディミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz)、アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)などのアーティストを考えると、それらは全て「異常値」として扱われるべきであって、個々の作品群は比類のない深さとスケールだった。しかし、そのような偉大な芸術家たちの多くの集団的記憶は、彼らがまだ生きている間でさえも衰退する傾向があったにも関わらず、ラガーフェルドは最後までアクティブかつ不可欠なものだった。ファッションは一時的なものかもしれないが、キング・カールよりも最先端を行くことができたデザイナーは存在しなかった。

虚しくそして間違いなく衰退しつつある業界に身を置いていたにも関わらず、ラガーフェルドは厳格かつ真面目で、大量生産が彼自身の高い水準を落とすことがないよう専念した。
ほとんどのファッション評論家は、彼の服の一貫した品質と、非常に多くのデザイナーがファッション界に入っては去っていく中で、関連性を保つ彼の能力を長い間熱狂的に支持してきた。

彼は「自分の過去を借りることはできない。」と宣言した。
「成功は無になる…。もう一度やり直さなければならない、そして、もっと良くなければいけない…。“過去に信用はない”という、私の大好きな非常に有名なユダヤ系ドイツ人の格言がある。だから私も仕事をした方が良いでしょう!?」

ラガーフェルドのファッションショー(またはパリで言う“デフィレ”)は、クリエイターがオリュンポス山から降りてきて、平凡な人間たちに神のスタンダードの保持について講義をする劇的なイベントだ。彼はかつてパリのグラン・パレ(Grand Palais)でシャネルの2010年秋のショーのためにスウェーデンから運ばれた265トンの氷山を使用し、そこで気候変動の危険性について指摘したいと考えた。ラガーフェルドは「気候変動は私たちの時代の課題だ。ファッションはその問題に向き合わなければならない。」と語った。

INTERVIEW © WENN
PHOTO © Lia Toby / WENN.com
PHOTO © WENN.com

Vol.2へ続く・・・。
CATEGORYから記事を読む